<新月に沈む>

或いは<a_bog>

――月が出ていなくてよかった。
少年は空を仰いで小さく溜息をついた。
夜が更けた森は闇に沈み、油断すると黒々とした木影に飲み込まれそうに思える。
しかし、この闇が今、少年とその傍らにぐったりと横たわる少女とを守ってくれているのだ。
緊張と寒さで強張る唇をぐっと引き結び、少年は少女に視線を落とした。
相変わらずの苦しそうな呼吸。
母が持たせてくれた薬を飲ませてみたが、そんなに急には効かないようだ。
追手に気付かれないよう火を焚くことを断念したため、しっとりと湿気を帯びた冷気が容赦無く体に纏わりつく。
少しでも温まるようにと、少年は自分のマントを少女に掛けてやっていた。
お供の2匹が心配そうに少女を見守っている。
――僕がもっと早く気付いていれば、こんなことにはならなかったのに――
少年は乾いた唇を噛んだ。
一体、ジャスミンはいつから体調を崩していたんだろう?
今朝?
昼前に小休止を取ったときはどうだったっけ?
もしかして昨日の夜からだったのか?
ジャスミンの性格上、自分から不調を訴えることはまずないだろう。
だから周りの人間が――といっても今は僕とバルダしかいないけど――気付いてあげなきゃいけなかったのに。
悔しくて、思わず拳を強く握った。
でも、不安と怒りと後悔が入り混じった感情はなかなか消えてくれない。
――ジャスミン
せめて汗を拭ってやろうと、額にそっと手を伸ばしたとき、少女がうっすらと瞼を上げた。
「……リーフ……?」
潤んだ瞳がぼんやりと少年の姿を捉える。
「…あたし…どうして…?」
「ジャスミン……」
起き上がろうとする少女を制して、
「君は熱を出して倒れたんだ」
「……熱?」
ぼんやりと少女は呟く。
「うん。バルダはきっと疲れが出たんだろうって言ってる」
「……そう、なの?」
「心配しなくていい。今バルダが隠れて休むのに良さそうな場所を探しているから、それまで……」
「……それまで……休む……休む、ですって?」
一瞬の間の後、少女は突然起き上がった。
「だめよ!早く次の宝石を探さなきゃいけないのに。それに今、影の憲兵団が私たちを追ってる最中じゃない。
休んでる暇なんてないわ!」
「ジャスミン!」
少年は立ち上がろうとした少女の腕を掴んだ。
思ったとおり、熱はちっとも下がっていなかった。
「だめだよ!とにかく休んで治さなきゃ。今動いても酷くなるだけだ」
「ならリーフ達は先に行って!足手まといにはなりたくないもの」
少女は少年の手をパシリと振り払った。
驚いた少年が見上げた先には燃えるような切れ長の目がこちらを睨んでいた。
「……そんなこと、出来ないよ!」
振り払われた手を握り、少年は立ち上がって少女の前に出た。
「足手まといでもかまわない。たとえ憲兵団に追いつかれても、僕らがいるじゃないか!」
「……!」
「僕とバルダで、君を守る」
「……」
「さっきも言ったじゃないか。心配しなくていいって」
「……」
「だから今は――頼むから大人しく休んでくれ!」
一気にまくしたてたせいか息が切れる。
きっと顔も赤くなっているに違いない。
少女は目を丸くして口を閉ざし、少年の顔をじっと見ていた。
闇のせいか熱のせいか、少年は彼女の表情を読み取ることができなかった。
落ち着かないまま時間が過ぎる。
ややあって少女は目を逸らし、
小さな声で何事か呟くと、大人しくマントにくるまり横になった。
「ジャスミン?」
「バルダが戻って来たら、起こして」
そう言って少女は少年に背を向けた。
彼女の小さな連れが鳴きながらマントにもぐり込む。
もう1匹の連れである鴉はちらりと少年を一瞥すると、少女の傍にぴょこぴょこと移動した。
少年はのろのろと腰を下ろし、目を瞑って堅く冷たい木の幹にもたれた。
――なぁ、こんなときくらい、僕を頼ってくれないか。
頼りないのは重々承知だ。
気が利かないし、
格好悪いところも散々見られている。
おまけに君には助けられてばっかりだ。
だけどその分、君が辛いときには力になりたいと思ってる。
元気の無い顔より、怒って元気な顔の方が百万倍いい。
いや、笑ってくれるならそれに越したことはないけど。
だから、お願いだ。
少しでもいいから、僕に君を助けさせてくれないか――
目を開けると、鴉がじっとこっちを見ていた。
「ご主人さまそっくりだよ、その目」
からかって言うと、鴉はツンと頭を逸らした。
おかしくて笑おうとしたが、溜息のようにしか聞こえなかった。

<end>